此処はドコだろう。
まるで夢現(ゆめうつつ)の中を彷徨っている。
そんな思いに囚われながらも、足取り重く、只歩み続けていた。
胸が苦しい。
足に力が入らない。
ただ胸を押さえて、暗く長く続く道を息も切れ切れに歩いていく。
何故それでも歩みを止めないのか。 それはヒビキ自身にも分らなかった。
何かに誘われるように。
何かに急き立てられるように。
ただ、苦しさに耐えながら歩みを進めていく、
(俺もトシかなぁ)
そうやって歩み続けながら、ヒビキは呑気にそんなことを考えていた。
自分がどこを歩いているのか、それすら知らずに。
苦しさに耐えながら、何故歩みを進めていくのかも分らずに。
そもそも、この道は何処に続いているのだろう。
ひどく 現実感が無い。
まるで険しい山河を上り詰めているような気もするし、平坦な道の様な気もする。
それに踏みしめる道の感触が、はっきりとした「確かさ」に欠けている。
と、言うより、足の感覚が麻痺しているような感触だ。
ただ、自分が向かっているその先には、安息の場所があるような、そんな漠然とした想いがある。
だがその場所に行けば、二度と「戻れない」
そんな確信めいた不安感も同時に存在している。
ただ、不思議と歩みを止めようとする気持ちがしない。
奇妙なことに、そんな考え自体が、今のヒビキは思いつかなかった。
心の臓が悲鳴を上げ、息も上がっているのにである。
ただ、今ぼんやりと頭にあるのが、この妙な疲労感への苛立ちと違和感。
それが「トシを取った」という、至極平凡な言葉として、ヒビキの頭の中でたゆたっている。
どれだけ歩いただろう。
一時間?
三時間?
それとも、まだ数分しかたっていないのか。
──時間感覚が失われているなと、それを認識出来る程度には頭は働いている。
逆に言えば、その程度しか今のヒビキには思考力がなくなっている。
(……やっぱ、疲れてるなぁ)
そう思いながらも足は本人の意思とはお構い無しに、前へ 前へと進んでいた。
そう言えば10代の頃『鬼』の修行をしている時、山野行の修練でこんな事が有ったっけ。
あん時はもっと気合で前に進めたんだけどなぁ。
まだ30代半ばなのだから、それほど体力が落ちているとは思いたくないのだが。
どうにもらしくない。
体力の低下など、今まで考えたことも実感したことも無かったのに。
そんな時だった。
その人物のシルエットが、遠くに見えたのは。
ヒビキは痛む心臓と、笑う膝を気合で押さえ込んで、その人物に近寄っていった。
そしてそこには──
「あれ? ザンキさん。 なんでこんなトコに?」
そこには彼がよく知る、切れ長の目をした友の姿があった。
ヒビキの前に居るザンキは、彼が知る人好きのする笑顔を浮かべてそこに佇んでいる。
「そりゃ俺の台詞だ。 お前、なんでこんなトコに居る?」
「なんでって……」
その時になって、ヒビキはようやく自分が居る場所を見渡した。
闇
全てが闇に包まれた──そう 此処は生と死の狭間だ。
自分が歩んできたこの道は黄泉路。
「死」へと向かう、死者への道。
何故だ分らないが、唐突に理解した。
此処には「音」が無い
此処には「響き」がまるで無い
命あるもの達の「響き」が感じられないのだ。
(俺、死んだのか?)
でも何故?
そこまで考えた時、ヒビキの記憶の堰があふれ出した。
ザンキの墓参に来て、そして妙な『鬼』モドキと戦って、そしてその後──
「!」
それは長年の経験がなせる技だった。
いきなりヒビキに襲いかかってきた冷たい殺気を、咄嗟に体が反応してかわしていた。
だが、それを完全にかわすことは出来ない。
力の無い足がもつれて、倒れた体が大地の上を転げていく。
それでも、ヒビキは片膝をつきながら体勢を立て直して、殺気が放たれた方を向いた。
そこには抜き身の剣を構えた、冷徹な表情のザンキの姿がある。
(違う)
今、ヒビキははっきり思い出した。
『鬼』モドキを倒した後に現れた、漆黒の仮面の『鬼』のことを。
そしてその仮面の下にあった、友と同じ顔の男のことを。
男はすでに左腕の上に剣を滑らせて、腰だめの姿勢でヒビキにその剣の切っ先を向けている。
次に来るのは「突き」だ。
それも神速の。
ヒビキは腰から音角を取り出して身構えた。
相手の隙をうかがうように、息を殺して相手の一挙一投足に集中する。
続く刹那の斬撃。
それを音角で払うと、受け流した衝撃で澄んだ音を放つ音角を額に当てた。
だが
(変身できない?!)
それどころか『鬼』の力が全身を蹂躙し、心の臓に激痛が走る。
その痛みに、思わず片膝をついてしまった。
そして真上から繰り出される3度目の斬撃。
(かわせない)
その剣が振り下ろされた時、ヒビキの視界が真っ赤に染まる。
それと同時に、金属と金属が激しくぶつかる音が聞こえた──
波の音と潮の香り。
そしてその波の音に調和するような、鈴の音が聞こえてくる。
リーン…
リィーン……
ヒビキの視界が、ゆっくりと赤い闇から開放されていく。
そこは、海だった。
ゴツゴツとした岩肌。ヒビキはいつの間にかそこに立っていた。
今目の前に、あの男は居ない。
ただ、自然の営みを感じさせる様々な「響き」と、それに調和するかのような清らかな鈴の音が聞こえてくる。
なぜか懐かしい、心地よい澄んだ音色。
そして、今ヒビキが立っている場所。
見覚えがあった。
(……屋久島の海だ)
明日夢と出会った、あの場所。
一度は分かれたが、あの時明日夢は彼を追ってきた。
あの頃はまだあどけない、マシュマロみたいな子だったっけ。
海の向こう、広大な水平線に、赤い太陽が昇ってきている。
あの日、あの時と同じように。
先ほどの緊張感もどこへやら、ヒビキは穏やかな気持ちでその朝日に魅入っていた。
その時
その朝日に照らされて、小柄な人影が見えた。
朝日の逆光でよく見えなかったが、その両手にはまるでナタのような無骨な短刀を携えている。
そして、頭に二本の角を備えた、その異様なシルエット。
『鬼』
その『鬼』は、静かな鈴の音を発しながら、ヒビキに背を向けて昇る朝日を見つめていた。
まるで祈るかのように。
まるで祝福するかのように。
そして、その『鬼』はの暁を背にしてゆっくりとヒビキに近寄ってきた。
敵意は、全く感じられない。
それどころか、先ほどとは違った胸の痛みと、愛おしさがこみ上げてくる。
誰だ
いや ──そうだ
知っている。
俺は、あの『鬼』を知っている。
剣を収め、その『鬼』はゆっくりとヒビキに近づいてきた。
そして、朝日よりもなおまぶしい輝きが顔から放たれる。
そして現れたその素顔は──
そこで、ヒビキの意識は途絶えた。
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