某所
仄暗く、暗く淀んだ空気を孕んだその場所で、1人の男が肉を食んでいた。
血の滴る生肉を手掴み、貪るように咀嚼している。
見ようによっては端正な顔立ちは無償髭で覆い隠され、クセッ気のある髪は乱れて、男に狂気じみた異様な雰囲気を与えていた。何よりもその双眸には淀んだ暗い輝きが宿り、見るものに嫌悪感を抱かせるには充分だった。
異様な この世ならざる狂気を孕んだ男
その男を表現するのに他の言葉は無い。
「…ぺっ!」
男は突然咀嚼していた生肉を吐き出し、残った肉を床に投げ捨てた。
「まじぃ…」
男は忌々しげにつぶやき、投げ捨てた肉を踏みにじる。何の肉は分からないが、その男の口には合わなかったようだ。
いや
それを美味いと感じられないのは、今男の中に淀んでいる暗い妄執と憤りのせいだろうか。
あの時、「あの男」の制止がなければ、今頃この手の中には欲して得られなかった「アレ」が手に入っていたはずなのだ。
それが男の妄執に拍車を掛けていた。
血の滴る肉も、その妄執への渇望を満たしてはくれない。
「荒れているな 闇鬼」
「…あんたか」
闇鬼と呼ばれたその男は、暗くねめつけるような視線をその男に向けた。
そこには彼を黄泉返らせ、支配下に置いている「男」の姿があった。
鋭い眼、鋼を鏨(たがね)で削り取ったような精悍で刃のような風貌の男。
かつて彼が憎み、妬心を抱いていた「あの男」に良く似た、日本刀を思わせる佇まいの男が。
「あんたは目的を果たしたんだろうが、こちとらあんたのお陰で不完全燃焼もいいとこだ。
これでご機嫌でいろってのはムシのいい話だと思うがぁ?」
「当然だな」
にべも無く答えるその男に、闇鬼は憤りを増した。ゆらりと立ち上がって、男の顔を下から下卑た視線でねめつける。
「言っとくけどなぁ」
闇鬼と呼ばれた男はまるでチンピラのように男に絡んだ。
「生き返らせてくれた礼はするが、あんたの下についたつもりはないぜ?
俺はよ」
「別に恩義を感じる必要も無いし、お前に忠義や友愛など期待してはいない」
そんな言葉にも全く感情を見せない男は、さらに非情とも言える言葉を継いだ。
「お前を蘇らせたのは、俺の都合だ。
ただ単に死んで間もなく、怨念の強かった貴様を反魂の術で蘇らせられるかどうかを試したに過ぎんのだからな。
──まぁ、いってみれば実験台というわけだ」
その言葉を聴いて、闇鬼の唇と体がおこりのように震え、その双眸が怒りと狂気で見開かれる。
「恨んでも構わん…
が、お前も黄泉返った以上は遣り残した事もあるんじゃないのか?」
重苦しい、永劫にも似たしばしの時間、二人の男は睨み合った。
だが、それもあっけないほどわずかな時簡に終わる。先に、沈黙に耐えかねたのは闇鬼の方だった
「…そりゃ、勝手にやってもいいって意味か」
「そうとってもらっても構わん。
最低こちらの要望を聞いてくれるうちは、だがな」
「魚心あれば水心ってやつか」
その言葉に、闇鬼はサメのような笑みを浮かべてようやく矛先を収めた。
ように見えた──が
「!」
不意に闇鬼の両の手が閃き、その輝く軌跡が男の首に吸い込まれていく。
だが
ガキッ!
男は微動だにせず、ただそこに立っていた。
ただその眼前、数寸先に闇鬼の武器を阻む「棍」が「男」を守るように突き出されている。
「邪鬼さんに、それ以上の無礼は許しません」
その「棍」が突き出された闇の中から、静かな、そして勝気そうな少女の声が聞こえた。
「てめぇ…殺鬼(サツキ)」
いつからそこに居たのか。
さらりとした黒髪を思い切り良く短く切り、幼さの残る、しかし強い意志を感じさせる顔立ちの少女の姿があった。その姿はまるで少年を思わせる、凛とした鋭くまっすぐな気迫に満ちている。
少女は軽く手首を捻ると、闇鬼の両手にある楽器とも刀剣ともつかない武器を跳ね除けた。そして邪鬼を守るように間に入り込み、棍の切っ先を闇鬼の鼻面に突きつける。
その棍の先には椿色をした、鬼の顔を掘り込んだ透明な石がつけられていた。
「それ以上邪鬼さんに、はむかうようなら…」
サツキとよばれた少女はなおもその切っ先を闇鬼に突きつけた。
その声には明らかな憤りと、なにより深く清らかな殺意がこめられている。
本気 だった。
挑発するように身構えながらも、少女静かな気迫に気おされるように闇鬼は後ずさった。
その姿に、暗がりの中から忍ぶようないくつもの笑い声が部屋の中を満たしていく。
「それまでにしておけ。
闇鬼も充分肝が冷えただろう」
邪鬼は微かに苦笑してサツキの肩を叩いた。
その言葉に、サツキはしぶしぶ武器の切っ先を引く。
「俺はお前たちに忠誠心や友情を期待しているわけじゃない。
……貴様らの無念や残念が、俺にとって必要なだけだ」
「……つまり、私たちは貴方の道具だと?」
薄暗がりの中から、また別の声が聞こえる。
それは若く、この闇の中には似つかわしくない、穏やかな女性の声に聞こえた。
「そう思ってもらっても構わんし、お前達も俺を利用して本懐を遂げようとしても一向に構わん。
むしろ俺は求めている。お前たちのその『怨念』を。
その為に俺は生き延び、お前たちを黄泉返らせた」
闇の中からざわめきが木霊した。
どうやらこの部屋には他にも数人のモノがいるようだ。
「そうだ──俺がお前たちを蘇らせ、『やつら』と手を組んだ理由は一つ」
邪鬼の言葉に再び耳が痛くなるほどの静寂が満ちる。
「俺は、猛士を滅ぼす」
微かに、息を呑む気配がした。
「猛士は変わり、鬼達の力は衰える一方だ。
先人の技は失われ、鬼たちの後継となる者もいなくなりつつある。
俺はこの60年余、その様を見続けてきた──
もはや、今の猛士に──『鬼』たちに魔化魍を抑える力はない」
「だから……潰す、と?」
女の声に僅かに間をおいて、邪鬼は首肯した。
「俺はやつらを滅ぼし、新しい組織を作る。
そして──次代を担う新たな『鬼』を作り上げる」
・・・・・
『鬼』を作り上げる!
その言葉を、闇の中のモノ達は粛として聞き入った。
「だがそれは今ではない。
まだ、今は動くときではない」
しわぶきひとつたてず、その闇の中のモノ達は邪鬼の言葉を聞き続ける。
「だが…それもそう先のことじゃない。
──二人とも、来い」
邪鬼に促されるように、彼の背後から小柄な二つの影がすぅっと現れた。
まだ10代と思しき、二人の少年・少女。
「この子達は…?」
「まさか、例の実験がとうとう成功したのか」
「そうだ」
邪鬼は穏やかな視線で背後の二人に視線を送った。
「この二人が猛士を滅ぼし、新たな鬼の時代を築く鍵となる」
疑惑と感嘆と興味と嫌悪
様々な視線が注がれる中、明日夢とひとみは無表情にそこに立っていた。
だが、邪鬼はそんな視線の一つ一つに目を向けてそれを制した。
「お前たちはまず、『この時代』に慣れるため外に出て今の日本を見てくるといい。
その上で、俺に協力するかどうかを決めてくれ。
今の日本が──猛士がどう変わったか。
その再び得た命で、見極めてくると良い」
「もし、私たちが貴方に賛同しないと言ったら?」
邪鬼はその言葉に、瞬き一つせず答えた。
「それはそれで構わん。
お前たちの内にある『怨念』もまた、俺の目的に必要だからな。
その『怨念』があるだけで、それが俺の目的の糧となる」
そう言って、邪鬼は明日夢とひとみの背に手をやって、その場から背を向けた。
そして、染み渡るような声で呟く。
「──それに、お前たちも気がついているはずだ
鬼であって『鬼』では無い。
己の中の『鬼』を殺して鬼となる、その矛盾にな」
そう言い残して、邪鬼は二人を伴い闇の中に消えた。
そして、邪鬼に続くように、闇の中かから気配が一つ、また一つと消えていく。
後には、己が投げ捨てた肉片をじっとねめつける闇鬼だけが残った。
くっ
くくくっ……
闇鬼の口元に、再びサメの様な笑みが浮かぶ。
「……分ってるじゃねぇか、邪鬼の旦那」
そうだ
『鬼』は『鬼』以外の何者でもない。
『鬼』でありながら『人』で有ろうとする事が矛盾なのだ。
『鬼』は本来、禍津神(まがつかみ)
──人に忌まれた『神』にほかならぬ。
闇鬼は肉片を靴底で踏みにじり、闇の中へと消えていった。
──後には、重苦しい静寂だけが残った。